自律(autonomy)の獲得

行先不透明な社会において、我々は一体何を身に付ければよいのか。

 

学生時代からの問いです。そして私は「自律」こそが必要だと思っています。

 

大学3年時のころから、同調圧力ともいえる「働かないと」という意識が芽生え、就職活動を開始。企業の求める人物には「主体性」「積極性」「コミュニケーション能力」…多種多様な能力が列挙されていました。

 

これまで私たちが学校教育や家庭教育で培ってきた能力、いや人間的な素質は

この就職活動において「購入」される商品なのか?そして、この枠に該当しない能力を持つ者は、社会人として是認されないのか?私たちは所詮、企業に飼いならされる労働力なのか?

 

企業が求める人物に「革命精神」「従属」なんてどこにも書いていないですよね。企業を底から転覆する人物は危険ですし、またお荷物となる人間もいらないのです。企業にとって都合の良い人間を採用する、そんなの公言しなくても分かりきっています。

 

しかし、先ほど列挙した能力を身に付けても経済や企業、国が軌道に乗り続ける保証はどこにもありません。先行不透明なのはコロナに始まった話ではないのです。

 

80年代前後から、世界の先進諸国で採られた新自由主義。戦後から始まった国民皆の生活を保障する政策(福祉国家)が経済的負担という側面から継続できなくなり、規制緩和を促進。利益重視の企業が先陣を切る社会となり、資本主義社会が加速したとも考えられます。

 

そして近年、利益・効率を追求した資本主義の弊害が露呈し始めています。環境問題や人権問題、ジェンダー格差…このような見えないリスクは今後も生じる可能性があるのです。

 

このようなリスク社会において、我々は何を備えるべきなのか。まずは「自律」です。社会や経済が破たんしても生きていける手段(生産手段)を個々人が所有することで、社会の変容に耐えしのぐことが可能となります。そして、リスクに対抗するにはそれに対する拮抗勢力(コミュニティ)が必要なのであり、私は地方自治がこの拮抗勢力を代替する役割をはたしてくれるのではないかと漠然と考えています。

 

 

まあ生産手段を個人が所有しながら(例えば自給自足やフリーランスの増加)、行政(地方自治)を運営していくことが可能なのか分かりませんが。