第二新卒の転職活動@13日目
私は新聞社の記者として約1年半だけ働き、現在は転職活動中です。転職活動といえば、通常は退職前に行い、転職先が見つかった時点で退職手続きをすると思います。しかし私は、転職先を見つける前に退職しました。なので現在は実質ニート、実家暮らしなのでパラサイトシングルです。
正直今後どうなるか先が見えず、不安で体が溢れかえっているので、自己整理を兼ねて書いていこうと思います。(もしかしたら自己物語という再帰的近代社会の病理にかかっているかもしれません。)
今回は、私がなぜ記者になったか、そしてなぜ退職して、今転職活動しているのかを書き連ねていきます。一般的な民間企業勤めではなかったので、第二新卒の中でもレアケースだと思いますが、参考になってもらえれば幸いです。
マスコミ志望で新卒就活
幼い頃から、社会に対する不満でいっぱいでした。というのも、理不尽なことや非合理なこと、身の回りにはたくさんありました。例えば、性別役割意識。私は地方出身ということもあり、両親は「男はこう、女はこう」と性別によって態度や言動、将来を固定的なものとして捉えていました。また家父長制、家制度的な志向。年長男性が一番偉くて上座に座るのだとよ。昭和ですかね。まさにカルト宗教です。私は幼心に、理解不能だったので常に反抗し、そういう価値観から脱したい一心でした。
また、中学時は全国大会に出場するような強豪の部活動に入り、顧問(男)はもう鬼です。「地獄に堕ちろ」って言われたことが、今でも鮮明に覚えており、年上男性へのトラウマはここから始まりました。当時は純粋だった私は、入部前の優しい人格の豹変ぶりに、もう人間不信でした。「怒ることが教育のすべてなのか?」と疑念を抱いていました。
こんな社会に対するちっぽけな疑念が蓄積され、「社会の負の側面を表出したい」「議論の場を作りたい」と正義感に満ちてマスコミを志望。大手は全落ち、地方新聞社から内定を頂き、せっかくなので記者として働き始めました。
葛藤ゆえのしんどさ
私は負けず嫌いなので、「誰よりも記事を書いてやろう」と入社時から殺気立っており、実際取材数は同期の誰よりも多いと思っています(実質そう)。
なんですけど、やっぱり休日も事件事故があれば問答無用で出社、実家に戻っていても現地にUターン、24時間臨戦態勢でした。入社前から分かっていましたし、そんな気を張らなくても本当はいいんです。でも、変な正義感からか、気が休まらないのです。
事件事故対応だけでなく、時には人手不足で休みでも出勤します。10日連続出勤なんてふつうでした。
さらには自分は対人コミュニケーションがそんなに得意でなく、特に役職就いた年上男性が本当に苦手なのです。「何か言ったら怒られる」トラウマがもう抜けないんですね。でも、できる限り努力しました、退勤後はなるべく警察署に顔を出し、雑談。正直めちゃくちゃ嫌でした。挨拶してももちろん守秘義務、そんな簡単に事件事故について話してくれるわけがないんです。でもマスコミ正義感もあり、「何かボロを出さないか」なんて内心思ってました。でも一方で、「こんなマスコミに対応するのめんどくさいだろうな、申し訳ないな」と複雑な葛藤に苛まれていました。
自分でも理解している、メタ認知しているのです。「考えすぎ」「もっと肩の荷を下ろしていい」と。でも、どこか心の中で「そうしたら負けかな」って。
葛藤の爆発
自分の中で、たぶんこのトラウマを解消したかったんだと思います。そして言語化が苦手なコミュニケーション能力の改善。でも、本当に無理でした。諦めたくないですし、転職後にも挑戦するつもりですが、もう辛いんですよ。もしかしたら心療内科に行けば、何かしらアルファベットの病名が授与されるかもしれません。でもそんなの医療化現象で、心の気休めにしかならないと自分は思っています。
まあ、単純化すれば挫折ですかね、これまで努力すればなんとかなっていた(受験・部活など)のに、努力してもどうにもならない壁にぶつかったんです。それがコミュニケーション。ちょっとプライド高いのも葛藤を加速させていました。
そんな簡単に治るものでもないですし、第一正解なんてない。別に仕事で会社の信頼性を失うような大きなミスをしてもないのに、自分の対人資質に嫌気がさして、●にたいって思ってました。家にあったコードで首をしめてました、本当に。
等身大でいられる職場探し
新卒当時は視野狭窄で、「マスコミに落ちたら人生オワタ」って思ってました。なので、対人能力のない私は、面接で聞かれるであろう質問に対する回答40個ほどをワードで書き出し、一言一句丸暗記。
こんな就活の仕方あります?正直、偽りの自分ですよね。
今思うと、仕事で毎日10時間、120%でいられるわけがないんです。面接時の自分は150%出した時の自分で、本来の自分ではないんです。だから長続きしなかった。これに尽きると思います。
そしてもう一つ、努力と結果が評価されなかった。正直、独自ネタ(他社がまだ取材していない、所謂「足で稼いだネタ」)は誰よりも執筆していましたし、事件事故対応も独自情報をいくつか取ってきました。でも、他の同期の方が、査定が良かったんです。同期のことは大好きですし、批判するつもりは全くないんです。でも、この結果を見て「あ、もういいや」って。自分の努力が正当に評価される場所に行こうと思う後押しになりました。
そして、「大学院に行く」といい退職。書くことは嫌いではなかったし、学問も好きだったので、そんなにコミュニケーションいらないであろう研究者になりたいな、と。それで院試の勉強を始めたんですけど、「なんか違うな」って。文系は理系と違って、官学連携は少なく、研究成果を必ずしも社会に還元できないんです。一度社会人を経験したら、大学院に戻れなくなってました。やはり、社会というフィールドに出て、社会をよくしたいなと。
それで転職活動中。←今ここ
期待するだけ無駄。でも夢はある
使命感と正義感、もはやアンパンマンになりたいとマスコミに入社。でも泥臭い、真実なんて見るけるのは伊達じゃない。そりゃそうだ。どんな仕事だってキラキラしてないです。広告系の友達はひたすらアポ電。役所勤めは税金取り立て。それを知ってしまったからこそ、仕事に対して熱量をかけられなくなった。だから面接も、力が入らない。
でもまた自分のコミュ力改善にチャレンジしたいので、仕事には就きたい。わがままって思うかもしれませんが、対人関係に苦労したことない人が言わないでほしいです。
そんな私にも生涯のうちやりたいことがあります。一つ挙げるとするなら地方創生と民主主義の回復。
①地方紙と地域情報サイトを集約したコンテンツ作成
②耕作放棄地のレンタル事業
こんなこと可能なのでしょうか(すでに競合はいますし)。分かりませんが、ビジネスの立ち上げ方、ビの字もわからないので、働きなが教えてくれそうな仕事に就きたいと思ってます。無理そうだったら、公務員になりたいと思います(面接あるけど)。
とりあえずこんな感じでしょうか。次回はリモート面談(大失敗)についても書いていきたいと思います。